感情センシング&ビジネスデザイン

人の”こころ”を測るセンシング手法の紹介と、それらのビジネス活用の可能性について考えます。

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【読書感想文】コンビニ人間

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コンビニ人間

 

色々な意味でお世話になったある大学の先生が猛烈にオススメしていた本。

彼の意見とは異なる印象だったけれど、確かに読んでみて残るものがある本でした。

 

 

<<感想>>

 

最近amazon primeでドラマの「僕らは奇跡でできている」をみています。

この本を読んだ時、ドラマの中で出てきた、イソップ童話の”ウサギとカメ”の解釈の話を思い出しました。

「カメはなぜ眠っているウサギを無視してゴールしたか?勝負の最中に道で居眠りなんて普通じゃない。もしかしたら怪我か何かで気絶しているかもしれないのに、それを無視してゴールなんてできるかな?」

なぜか?ドラマの中での高橋一生の回答がとても好きです。

「ウサギは、カメを見下す為に走った。自分はすごいと証明する為に。その為に頑張った。でもカメは勝負のことなんて考えていなかった。ただひたすらに純粋に”前に進むことで広がる景色”を楽しんでいただけで、ウサギが寝ていようが勝負に負けようがそもそも興味がなかった。勝負に勝つ為にコツコツ頑張ったりは全くしていなかった。

 

この本は、自分をどこに見つけるか?を問うている本だと思う。

私も、36歳で独りで、コンビニでバイトしている友人をみたら、何か問題があるのか?就職したり結婚したりした方がいいのでは?と質問してしまうような気がする。

 

「暇と退屈の倫理学」の中で、ハイデッガーの環世界の話もこれに近い気がした。

例えば人間と、ダニの見えている世界は全く異なる。ダニは視覚も嗅覚も聴覚もない。獲物の背中に張り付く為に、まずは手頃な高さの枝に張り付き、その下に生体に近い温度の物体が通り過ぎた時に手を離し、背中にひっつく。その後は口を差し込み、吸血。それでおしまい。これが彼の人生で、その中には我々が持ち合わせるような価値観は通用せず、「そんな人生何が楽しいの?」なんて問いは当然お門違い。この世界観を円環になぞらえて”環世界”といい、人間とダニは違う環世界を生きているとのこと。

そしてハイデッガー曰く、人間同士も異なる環世界を生きているとのこと。例えば道端の石を見ると、私はただの石だと、せいぜいが何色で質感がどうこう、程度の認識しかできない。しかし地質学者のような専門家が見れば、この辺りの地層はどうだとか、この石はいつ頃の時代のものなのか、などの全く異なる認識になる。この状況で、私と地質学者の環世界は異なっている。

 

コンビニ人間の彼女も、我々(普通の人でくくってしまっているけれど)と異なる環世界を生きているのだと思う。コンビニに出会って初めてこの世に生まれた感覚になり、コンビニの”声”が聞こえて、コンビニが価値観の全てになっている彼女を、そんな人生でいいのか?と聞くべきではない。

大企業につとめ結婚して家を買い子供を作る、テンプレートな幸せも、世の大多数が幸せと感じることであり、いわば”正解の可能性の高いこと”だと思う。自分のあり方は、自分が決めればいい。

 

ここで、彼女とコンビニの出会いの形は、あまり良くなさそうに書かれている気がする。入りたい企業に、一生懸命努力して入り、優秀な同期と切磋琢磨してやりたかったことを達成する…コンビニが彼女の中で居場所になっていく過程は、そんなサクセスストーリーでもなく、能動的に勝ち取ったものでもないように思う。流されるようにコンビニと出会い、その中で「正しいことでは多分ない」と思いつつも他のスタッフの様子や意見に迎合して溶け込んでいく…どちらかというとネガティブな描写だった。

しかし、それでいいと思う。能動的に自主的に、努力をして勝ち取ったものは当然尊いと思う。でも、それだけが尊いという訳ではない。受動的でネガティブな、逃げ込み先のような場所でも、そこで自分を見つけられるならば、それの何が問題なのか。

社会に馴染めずコンビニに逃げ込み、そのコンビニからも見放されかけても、最後にはそこに自分を見つけることができた、彼女の人生は素敵なのではないかと思う。

 

考えさせられる本でした。

「暇と退屈の倫理学」「僕らは奇跡でできている」「コンビニ人間」と温度感や視点が全く異なるが、同じテーマを扱っているように思うものと最近良く出会う。

心が欲しているのだろうか…?笑